日本書紀に、崇神天皇が、天照大神・倭大國玉、二神を天皇の大殿の内にお祀りした、とある。延喜式内社で倭大國玉を冠する神社は、徳島県美馬市の倭大國玉神社の他にない。つまり、倭大國玉神社のある美馬市に崇神天皇が住まわれていた、ということである。
ということで、倭大國玉神社に行ってみた。



河岸段丘の上にある。
冒頭に書いた内容が書かれた説明看板。

神社の境内には大國玉古墳がある。
古墳時代後期(6世紀)なので、埋葬されているのは崇神天皇(3世紀後半から4世紀前半と考えられている)ではなさそう。
疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神を皇居の外に移した、とされているので、皇居はここではない。
では、皇居はどこか?
吉野川を挟んで対岸のつるぎ町半田に、「天皇」という地名がある。
「天皇」の下の「かいけ庵」にある看板↓

このすぐ近くには「神宮寺」という立派なお寺。「神宮」という名前がなんともそれらしい。妄想でしかないが。



このお寺の上の方に行くと、「富士権現」というところがあり、ここに古墳がある。
なんとなく、この辺りは崇神天皇と関係あるのかも、という想像がかき立てられる。
まあ、崇神天皇の皇居の場所は分からないが、倭大國玉神社の存在は、崇神天皇の皇居がこの近くにあったという証拠では?
さて、倭大國玉神社の近くに、伊邪那美神社がある。元は、吉野川の中洲にあったとされている。延喜式内社に伊邪那美神社はこの1社しかない。つまり、国生みのイザナギ・イザナミのイザナミの神社がここにしかないということは、神生みの場所は徳島、ということになる。



