お葬式近代化構想

親戚の葬儀に参席。

生きているものは必ず死ぬんだなと、当たり前のことをあらためて実感する。
まあ、それがどうなんだということもない。悔いのない人生を送ろうとか別に思わない。「悔いがない」なんて不可能だろう。「悔い」なんて生きていたらしまくりである。ただ生物・ヒトとして生きればそれで良い気がする。
まあ、私の死生観はどうでもいい。

お寺の供養のシステムは、システマチックになっているというか、初七日、四十九日は魂が、仏がどうのこうのと、なんか決まっているらしい。こういうのは遺族の気持ちを癒したり、気持ちを整理するには良いシステムだ。元々の仏教はこういうものではないのだろうけど、こういう葬儀のシステムの歴史を研究したら面白いだろうなと思う。宗派、地域での違いとか、いつ派生したとか。

葬儀のしきたりって、保守的で、変えるのは勇気がいるだろうが、合理的でないところが多々気になってしまう。
まず、記帳というやり方。筆やペンで書くよりも、キーボードを置いてくれた方がありがたい。うちの住所って長いんだよな。時間がかかる。郵便番号を入れれば住所が途中まで出るはずだ。
それに、直接電子データにしてしまえば、後で香典返しなどを贈る際も手間が省ける。
次に支払いのシステム。熨斗袋に現金を入れてというのは無駄が多い。カード払いでも良いのではないだろうか?あるいは、電子マネーでシャリーンでも。
次に、遺影。こういうのはどうせパソコン上で合成などして修正しているのだろう。もとは電子データになっているはずだ。最近では基の写真もデジカメが多いだろう。そうであれば、液晶モニタに映し出せば良いのでは?動画とか、スライドショーでもできそうだ。故人の紹介をしてもいい。喪主による挨拶も、パワーポイントを使って説明するのも良い。
あと、斎場での焼き方。同じ窯で火をいれて冷ましてとやるので、特に、温度が冷めるまでの時間がかかるし、エネルギー的に無駄が多い。ベルトコンベア式に、工程毎に流した方が良いと思う。「今、焼かれてるんだなぁ」というこの空虚な時間はつらい。

てなことを、サイエンティストの叔父と話していた。
不謹慎かな?

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