これは小説です
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【1】
木村が『いやしの温泉郷』の駐車場に着くと、オレンジメタリックの86が停まってた。
「あっ!ポン太さんの車だ」
木村の SズキCプチーノは、86のオレンジメタリックの色で全塗装してある。バブル期に買った古い車なので、塗装が剥げてきて、数年前に全塗装したのだ。なので、この色の86は気になるし、そもそも86のこの色が好きでCプチーノに塗ったのだ。
なので、ポン太さんはとっても気になる存在だ。
86の横で登山の準備をしている人がいた。
「ポン太さんですよねー?」
「あっ!Dさんじゃないですかー!」
実は、僕たちは初対面だ。
でも、お互いをよく知っている。
登山アプリの『Yマップ』でお互いをフォローしているからだ。
初対面でも初対面の気がしない、Yマップあるあるだ。
「ポン太さん、これから三嶺ですか?」
「そうですよ」
「じゃあ、一緒に登りましょうよ」
「あっ、それなら、車が2台あるんだから、どうせなら天狗塚から縦走しましょうよ」
「なるほど!それはいい!」
「じゃあ、僕の車で天狗塚の登山口まで行きましょう」
というわけで、2人で天狗塚の登山口へ向かった。
「私のCプチーノ、この車と同じ色なんですよ。このオレンジメタリックを指定して全塗装したんです」
「あっ、やっぱりそんなんですか。なんか似てるなーって思ってたんですよ。この色、かっこいいですよね」
「そうそう。全塗装する時に、どの色が合うかなって考えてて、この色の86を見た時に、『これだ!』って思ったんですよね」
お互い、スポーツカー好きなので、話が盛り上がる。
走りのリズムも似ている気がする。
三嶺から天狗塚は、途中に西熊山を経由する縦走路だ。ミヤマクマザサに覆われた、長く、美しい稜線が続いている。一人だと、車を停めた所まで戻らなければならないので、この縦走路を歩くには、三嶺か、あるいは天狗塚からピストンするか、反対側の登山口に下りた後、林道を延々と歩かなければならない。車が2台あれば、お互いの車をそれぞれの登山口に停めておけば、林道を歩いて戻らなくても済むのだ。
天狗塚の登山口(西山林道登山口)に着いた。
「あれ?ポン太さん、ハーフパンツですか?マダニに噛まれませんか?」
「は、は、大丈夫でしよう。そんなの気にしませんよ」
「ワイルドですねぇ」
「ワイルドだろぉ」
木村はそういうところは神経質なので、長ズボンだし、上からスパッツを巻いてるし、靴下にマダニに効く防虫スプレーをかけてある。
同じスポーツカー好きで、同じ色が好きだとしても、性格が同じとは限らない。当たり前か。
天狗峠に着くと、三角錐の天狗塚が見えた。かっこいい。右側のなだらかな肩は『馬ノ背』だ。天狗塚の山頂に立つと、360度のパノラマが広がり、三嶺までの美しい稜線を一望できた。


「最高ですねー」
「一緒に写真撮りましょうよ」
100均で買ったミニ三脚を使って、カッコつけたポーズで、何枚か撮った。
天狗峠に戻り、お亀岩、西熊山を経由して、三嶺に向かった。
展望の良い、笹原の中を進んだ。
遠くに、三嶺の山頂が見え、振り返ると天狗塚が見えた。
笹の葉が、カサカサと足に当たった。
「めっちゃ気持ちいいですねー」
「前の景色も、後ろを振り返っても最高!」
「あっ!鹿!」
たくさんの鹿が、縦走路を横切っていった。
遠くにも、何頭か見えた。
「なかなか着かないですねー」
「三嶺はあそこに見えているのに、なかなか近づかないですねー」
「でも、ずっと歩き続けたい道だから、着かなくてもいいです」
「ははは…、そうですよねー」
「それにしても、鹿が多いですねー」
「最近、この辺りはかなり増えてますね。ハンターが駆除をしているみたいですけど、繁殖が旺盛で、焼け石に水ですね」
「たしかに」
「そもそもハンターが高齢化して、減っています」
「まあ、そうでしょうね」
「あと、温暖化で雪が減って、冬越しできる割合が高くなってます」
「Dさん、物知りですね」
「いや、この前ちょっと調べたところだっただけですよ」
「まあ、でも、かわいいんですけどね」
「そうなんですけどねー。かわいい鹿を駆除するのは、かわいそうな気がしますけど、草を食べ尽くして禿げてしまうし、木の皮を食べて、木が枯れてしまうので、困ったものです」
「たしかに。白骨樹になっているところもありますね」
「あと、鹿とか猪に寄生するマダニが増えてしまって。あっ!そうだ!ポン太さん、マダニ、大丈夫ですか?」
「そう言われると、気になってきたなぁ。まあ、大丈夫でしょう」
三嶺に着いた。
稜線の向こうに、天狗塚が見える。

「うわぁ、あそこから歩いてきたんだ」
「今日は天気が良いし、最高の稜線歩きでしたね」
「駐車場でポン太さんに会えたから、最高の稜線歩きができましたよ」
いやしの温泉郷に下り、一緒にCプチーノに乗って、天狗塚の登山口に、ポン太さんの86を取りに行った。その後また、いやしの温泉郷に戻って、温泉に入った。
服を脱いでいると、ポン太さんのふくらはぎに、赤い点が見えた。
「あれ?ポン太さん、これマダニじゃないですか?」
「あちゃー!やられたー!」
「これ、無理に取ると、皮膚に口が残ってしまうので、皮膚科で取ってもらった方がいいですよ」
「今日はもう遅いから、明日にでも病院に行きます」
「まあ、早い方がいいですけどね」
「でも、せっかくなので、まずは温泉に浸かりましょうよ」
一緒に温泉に浸かって疲れを取り、それぞれの自宅に帰った。
【2】
Yマップに、ポン太さんのその日の活動日記は出ていたが、その後の活動日記やコメントが、ぷっつりと途絶えていた。
「あれ?最近、ポン太さんどうしたんだろ?」
気になっていた頃、ポン太さんが亡くなっていたことを知った。
死因は、マダニ感染症、つまり、重症熱性血小板減少症候群 (SFTS)だった。
「え?あの時に噛まれたマダニが原因だったのか」
やっぱり、あの時、あのハーフパンツでの笹原歩きは止めておけば良かったのではないか、と罪悪感に苛まれた。
【3】
その後、あの稜線を歩いた人で、SFTSで亡くなる人が多発した。
本来、マダニに噛まれれば必ずSFTSに感染するわけではなく、マダニがSFTSウイルス(SFTSV)を持っている場合に感染するのだ。それでも100%感染するわけでもないし、感染しても、致死率は30%くらいだ(それでも十分高いけど)。
しかし、この辺りでマダニに噛まれた人は、100%亡くなった。どうやら、強毒性のウイルスらしい。しかも、この辺りのマダニは、100%、この強毒性タイプのウイルスを持っていたし、シカのSFTSV抗体保有率は100%だった。
【4】
この辺りの登山を禁止しようかと検討されていた折、また、マダニに噛まれた人がいた。キヨさんだ。
T病院の医師、十川は、キヨさんを診察した。
「マダニに噛まれたっていうことは、私、死んじゃうってことですか?」
「いや、まあ、落ち着いてください。もし感染していたら、噛まれてから、およそ6日から2週間で発病します。まだ感染したと決まったわけではないです。万全の体制で治療しますので、しばらく入院してください」
「運を天に任せるしかないのね?あー!なんてこと!」
キヨさんにはそう言ったものの、キヨさんに付いていたマダニを調べたところ、強毒性のSFTSVが検出された。おそらく、1週間ほどで発症し、その後、死亡してしまうだろう。
四国の各地でも強毒性のSFTSVが検出され、四国全域の山は封鎖されてしまった。
【5】
1週間が経った。
「あのー、私、まだ、なんともないんですけど、死ぬんでしょうか?」
「まだ潜伏期間の可能性がありますので、あと1週間は入院してください」
キヨさんは、不安な気持ちいっぱいで過ごしたものの、その後、1週間経っても、発病せず、全く元気だった。
「先生、どういうことでしょうか?」
「いや、正直、ダメだと思っていました。しかし、血液検査しても、SFTSVが検出されませんでした。でも、SFTSVの抗体はできていました。つまり、SFTSVには感染していた、ということなんです。でも、発病はしませんでした」
「え?なんか難しくて分かりませんが、助かった、ということなんですか?」
「ええ、そうです。もう大丈夫だと思います」
「あー!良かったー!先生、ありがとうございます!」
「キヨさんは、特殊体質なのかもしれません。SFTSの治療のヒントになるかもしれませんので、キヨさんの身体を調べさせてください。ぜひ協力をお願いします」
「ええ、私の身体が役に立つなら、なんでも調べてください」
しかし、いろいろ調べてみたが、キヨさんの特殊性は、見つからなかった。キヨさんから細胞を採取して、その培養細胞にSFTSVを加えたところ、SFTSVが増殖したことから、遺伝的に耐性があるわけでもなかった。
研究は行き詰まった。
【6】
「先生、お電話です。キヨさんからです」
「もしもし、お電話代わりました。十川です。キヨさん、お元気ですか?」
「ええ。ピンピンしてますよ」
「それは良かった」
「その後、どうですか?何か分かりましたか?」
「それが何も。キヨさんは特殊体質ではなくて、たまたま助かっただけなのかもしれません」
「それならそれで良いんですけど、それだと何も治療法が見つからないんですね」
「ええ、残念ながら…」
「山が封鎖されたままなのが申し訳なくて…」
「それは私も同じ気持ちですよ。今までご協力いただいたお礼もしたいので、今からご自宅に伺ってもよろしいですか?」
「あら、それは嬉しい!」
十川は、キヨさんの自宅を訪問した。
「これ、つまらないものですけど、お饅頭です」
「あっ!これ、入院していた時に、私が、美味しい、美味しい、って言って、食べてたやつですね。先生、覚えていてくださったんだ」
「いやいや、あまりにも美味しそうに食べてたので。あの幸せそうな顔は、忘れませんよ」
「あの時、発病しない、って分かって、生きてる実感に満ち溢れていたのですよ。そうだ、先生も一緒に食べましょうよ。今、お茶を淹れますね」
「あれ?このお茶、美味しいですね」
「そうでしょ。これ、笹茶なんですよ」
「へぇー。甘くて美味しいですね」
「そうなんです。私これにはまってて、一日に何杯も飲むんですよ」
「へぇー………、あ!」
「へ?」
「もしかして!このお茶、調べさせてください!」
「え?いいですけど、どういうことですか?」
「まだ、調べてみないと分からないですけど、もしかしたら、もしかするかも。まあ、とにかく、このお茶を分けていただけませんか?」
「ええ、いいですよ…」
笹茶を調べたところ、SFTSVの増殖を抑える成分が発見された。
この成分は、薬として実用化され、そのおかげで、四国の山の封鎖は、解禁された。
鹿が、SFTSVに感染しながらも発病しないのは、笹を食べているからだということも明らかとなった。
【7】
山が解禁され、木村は、久しぶりに天狗塚に行ってみた。
「やっぱり、山は良いね」
今日は、笹茶を山専ボトルに入れてきた。