図書館で借りてきた新渡戸稲造の「武士道」を読んだ。
私は決して右翼主義者ではない。新渡戸稲造もそうだろう。
昨年、盛岡の先人記念館(2003.08.06日記)に行った際、新渡戸稲造に興味をおぼえ、「武士道」を読んでみたいと思っていたのだ。
自分らは日本人である。そして日本人的発想と精神がある。アメリカ人などとは異なるものがあるのは確かだ。財布を落とせば大抵交番に届けられる。欧米諸国にはキリスト教という宗教によって道徳教育されているのに、日本には宗教を基盤とした道徳教育が無いのにである。このような日本人の精神や道徳の基盤は武士道にあるのだと新渡戸稲造は主張している。まさにその通りだろう。
この根本は「義」にある。自ら正しいと思うことを行うということだ。損得勘定ではない。ときには自分を犠牲にしてでも義を優先させる。
イラクの問題など、国際社会は混沌としているが、日本は日本人としての精神に基づいた行動をとるべきではないだろうか。国際社会で恥をかかないようにと、欧米諸国に合わせてきたのだろうが、日本の武士道の精神とは相容れないこともあり、自ら歪を生じている。今一度、日本人の資質を見つめ直し、この資質を国際社会に役立てるべきではないか?イラク人が親日的だったのはどうしてか考えてみるべきだろう。