父 亡くなる

前日東京発の夜行バスで徳島の自宅に帰っていた。

母から電話があり、父が倒れた、とのこと。

母はかなり動揺していて何を言っているのか、分かりにくかったが、母が目を離してる間に父が家の中に居なくなっていて、探したら、庭で倒れていた、とのこと。生ごみを庭に埋めに行って、その時に庭に生えていたフキノトウを採っている途中で、倒れたらしい。
鋏を持ったまま倒れていたらしい。

近所の人に助けを求め、救急車で病院に搬送された、とのことで、心臓マッサージを続けているが、おそらくダメっぽい、とのこと。

妻と娘にも連絡し、おそらくダメっぽいので、喪服も準備して(結局サイズが合わなくなっていて、実家近くで買うことになった)、実家の三重に車で向かった。

その間に、実家の近くに住む姉も駆けつけ、心臓マッサージを止めることを決断し、そのときが死亡時刻となった。

父が庭に出る前には、毎日の習慣となっている、新聞の数独のコーナーを仕上げており、ご飯もきっちり食べており、特に健康上の問題はなかったのだが、突然倒れたようだ。

死因は、「急性冠症候群」とのこと。要は、急に心臓が止まった、ということだ。

実にあっけない。

あまり苦しむことなく、本人にとっては楽に死ねたと思われるが、母や我々は、全く覚悟をしていなかったので、その後が大変だった。

ちょうど、前日に夜行バスに乗るために電車で移動しているときに、「永代供養、樹木葬」といった車内の広告が目に留まり、父はどうしてほしいのかなぁ、聞いておかなきゃなぁ、と思ったところだった。

父の生まれは大阪で、その時から懇意にしているお寺があったのだが、三重に来てからは、祖父の法要を行うときくらいの付き合いで、このコロナ禍の際に、大阪から来てもらうのもどうかな、ということで、葬儀会社から紹介していただいた僧侶にお願いした。ただし、大阪のお寺とは宗派が異なり、三重に多い宗派。
父はどうしてほしかったのか、気になるところではあるが、父は、「死んだら無になる」とよく言っていたので、こういうことにはこだわりはなかったのではないかと想像する。

数年前の父の日に、エンディングノートをプレゼントした。
生い立ちなど、少し書き始めていたが、肝心の、死んでからのことは何も書いていなかった。

エンディングノートは書いておこうと思った。
ちなみに、自分は無宗教で葬儀を行ってほしい、と思っている。