信仰という概念

子供の頃、「プロ野球はどこのファン?」と聞かれるのが嫌だった。なぜなら、プロ野球自体に全く興味がなかったから、どこのファンもなにもなかったから。

聞いている方は、プロ野球を観るのは当たり前で、どこかの球団を応援しているのが当たり前だと思っているのだろう。そういう概念を当然のことして聞いているのだろう。

宗教にしても、もしこの世に信仰という概念がなければ、何教を信仰しているという問いも発生しないだろう。

何かの宗教を信仰していることが、人間として良きこととして語られるが、信仰という概念がなければ、良きも悪きもない。

自分が、「何教を信仰してるの?」と聞かれたら、答えに窮する。自分には、これこそ信仰だという概念がない。

聞いている方も、「どこのファン?」程度の問いなのかもしれない。