邪馬台国といえば、九州説と畿内説が有力だが、阿波説がある。YouTubeでANYAさんが解説しているとおり、魏志倭人伝を素直に解釈すれば、邪馬台国は阿波となる。「邪馬台」は「ヤマト」であって、その後、奈良盆地へ移って、大和政権となっていったと考えられる。この説は、他の説に比べて、すごくしっくりくる。邪馬台国への行程を、道のりではなく、距離を当てはめれば、阿波が妥当なのだ。当時、距離を測ることができたのなら、わざわざ面倒な道のりを測るより、距離を示すだろう。
神話の高天原にいた人達として、元はユダヤ人なのではないか、という説がある。美馬市穴吹町の磐境(いわさか)神明神社は、古代ユダヤの礼拝所に似ている。見に行ってきた。





またまたANYAさんが解説している。古代ユダヤの礼拝所で、大麻を燃やした跡が見つかったそうな。そして、大麻といえば、天皇の代替わりの儀式、大嘗祭で使われる麁服(あらたえ)は大麻の織物であり、これは代々、阿波忌部氏が調進することになっている。大正、昭和、平成、令和でも、阿波忌部の直系の三木家が麁服を調進した。その三木家住宅に行ってみた。





古代ユダヤでは、大麻は聖なる布であり、キリストの聖骸布も大麻とのこと。同じように、天皇の先祖の地で織られた麁服を引き継ぐことで、天皇となる、ということか。
ということは、この辺りが、天皇の先祖の地、ということか?
この地で高天原が連想されるところといえば、剣山か。




ユダヤには山岳信仰があるとのこと。ならば、剣山を聖地とし、この辺りの高地で焼畑をして生活していたのだと思われる。
その後、天孫降臨をして、気延山の麓の平野部に移り住んで行ったと考えられる。この辺りは多くの古墳があり、大昔は、大規模な都市だったようだ。


この気延山には山頂部に古墳があり、卑弥呼の墓と言われているものがある。

古代史を考えながら徳島を巡ると面白い。