最近の子供は機械を分解しない?

「最近の子供は・・・」という時点で自分は年を取ったなと思うのだが、最近の子供は機械を分解しないよねという話を職場でしていた。
「最近の子供」といってもサンプルが自分の子供くらいしかないので、統計学的には有意とは言えないのだが、一緒に話していた人の子供も同じようだ。
自分が子供のときはネジがあれば外してみたくなった、というか、外していた。最初のうちは壊してしまうことがあったが、そのうち壊れたものを直すようになってきた。そういうことを小学生や中学生の時にやっていたような気がする。
そういうDNAを受け継いでいるはずの自分の子は、そういうことをしない。
自転車の空気が抜けていても平気で乗っている、というか、空気が抜けていることにすら気付いていない。
しかし、そもそも、最近は分解できる機械があまりないような気がする。分解しても電子部品だらけでなんだかよく分からない。壊れたものを分解して修理できることは少ない。
自分が子供のときの機械は、分解すればどういう仕組になっているのか分かるものが多かった。すなわち、機械よりも人間の脳のほうが優位な立場にあった。
ところが、最近だと、機械はブラックボックス化し、インテリジェントな機能を持って、人間を補助してくれるようなものが多くなってきた。すなわち、人間のほうが機械に負けているという感じ。
便利になるのは良いことだけど、その反面、生活力が無くなってくるというか、動物的でなくなってくるのではないだろうか?生き物としての基本的な機能が削がれていく気がする。
機械がどんどん便利になるのを今更後戻りさせようというつもりはない。だけれども、分解して仕組みを体感する経験を持てる余地を残しておかないと、生物的な機能が劣化するのではなかろうか?
という意味で、料理はお勧めしたい。
食べることは動物の基本である。
美味しいものを作るという行為は、五感が研ぎ澄まされる。特に、味覚、嗅覚という原始的な感覚器官を磨くので、これはなかなかいいのではないだろうか。
最後の砦(?)なので、「全自動調理器」を発明しないでいただきたい。

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