燃えるゴミ 燃えないゴミ

少し前に町からゴミ分別の仕方が書かれた冊子が配布された。これを見ていると、基本的に燃えるゴミは生ゴミ、紙類で、プラスチック類は燃えないゴミだ。新聞紙、ペットボトル、瓶、缶、卵パックなどはリサイクル。
こう分けると、燃えるゴミはほとんど無くなって、ほとんどが燃えないゴミになるよ。綺麗な紙は古紙再生に回るし、生ゴミはコンポストにするから、燃えるゴミってティッシュくらい。
これでいいのかな?
町がこう決めたのだからこのように分別しなきゃいけないのだけど、これで正しく分別しましたというのも釈然としない。
燃えるゴミの定義、特にプラスチック類の分別方法は市町村によってかなり違うようだ。塩ビでもプラでも燃えるゴミというところもあれば、我が町のように全て燃えないゴミというところもある。「燃えない」って燃えるんだけどね。
そもそもゴミをなぜ燃やすかというと減量化するため。何でもかんでも埋め立てたら、そこらじゅうゴミだらけになるし、埋立地の確保はかなり難しい。これを重視すれば、燃えないゴミを減らし、燃えるゴミの割合を大きくする方が良さそうだ。
ただし、燃やすと二酸化炭素が発生するし、ダイオキシンも問題だ。でも、ダイオキシンについては法改正で、これの発生するような焼却炉は使われていないはず。
燃えないゴミにする理由として「高温で炉が傷むから」と言われているが、ダイオキシンが高温で発生しないということと矛盾すると思うのだが。ダイオキシン対策の採られている炉なら高温に耐えるはず。
ゴミの問題は難しい。いったいどうすれば環境負荷が少ないのか、簡単に結論は出そうにない。リサイクルにしてもかなりエネルギーがかかるものもあり、かえって環境負荷が高くなることもある。それでも、埋め立てるゴミが減る社会的な効果はある。
なるべくゴミは出さないこと、これは確かなことである。

戦時の報道、その信憑性

イラクがスカッドミサイルを発射した → 短距離ミサイルだった
化学兵器工場を見つけた → 化学兵器工場ではなかった
意図的に間違った情報を流すというのも、心理的な戦略か?
シーア派が蜂起したというのもあやしい。
敵の敵は味方ではなく敵だったみたい。

田嶋陽子

神奈川知事選出馬するんだね。
あの人は言っていることはいいんだけど、はっきり言ってうるさい。この前、対イラク戦争に関する討論番組に出ていたけど、他人の話を全く聞かない。遮るように喋りまくる。あれじゃ討論にならない。次の日の同じ番組では出ていなかった。その方が議論は深まっていた。
主張が正しくても、議論ができないとダメだ。

理論と実際

最近、花粉症のせいか、やたらと眠い。抗ヒスタミン剤を飲むとさらに眠くなるが、飲んでなくても眠い。身体が抗ヒスタミン剤みたいなものを作るのだろうか?
夜が眠くて日記を書くのも次の日になってしまう。
日本政府は戦争支持の根拠として、国連のいささか古い決議を持ち出している。こういった理論がないと納得できないからだろう。しかし、実際の状況は変化するものであり、新しい決議が必要だと国連は考えたから、安保理は話し合っていたのだ。
科学においては理論が絶対である。理論が現象と合わないのは理論に間違いがあるからであり、その理論を追求するのが科学である。
しかし、社会においては、絶対に正しいという理論はない。理論は常に変化する。多くの人が正しいだろうと思うことが理論となる。
国際社会は今のアメリカとイラクの状況を見て、武力行使に疑問があるから新決議、理論を求めたのだ。
宇多田ヒカルは自分のホームページで、
「正しい戦争なんて無い。」
と言っている。
まさにその通り。
極論すれば、社会において「正しい」なんてものは無い。なんとなく皆が「そうだろな」と思うことが「正しい」とされているに過ぎない。
しかし、戦争という殺人行為、破壊行為を「正しい」と言えるのか?グローバルな世の中になった今、そろそろ戦争という手段を放棄した方が良いというのが、アメリカ人を除く大抵の人の常識ではないだろうか?

カプチーノと山が好き!