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鳴門海峡で初日の出

あけましておめでとうございます。

早速、鳴門海峡で、初日の出を見てきた。

場所は、千畳敷の北側に下りた海岸、相ヶ浜

ちょうど雲がかかっていて、くっきりとした日の出にはならなかった
右から左へ滝のように流れる
ゴーっと水の流れる音が響く
この海面の落差、分かるかな?

古事記の国生みの場面といえば、イザナギとイザナミが、天の浮橋に立って、沼矛を指し下ろしてコロコロとかきまわし、矛の先から滴り落ちた塩が積もってできたのがオノゴロ島。最初に淡路島を生み、次に四国を生んでいる。

この描写って、鳴門の渦潮のことでは?

そして、矛の先から滴り落ちた塩が積もってできたのがオノゴロ島、という描写から、この写真の橋脚の土台となっている島がそれっぽい。まさに、滴り落ちた形をしている。

地図では、裸島という名前。

とにかく、イザナギ、イザナミが鳴門海峡付近にいて、ここから始まった、ということは、ヤマト政権に繋がる勢力はここから始まったということを示唆している。

そういう場所で、初日の出を拝んできた。

ヤマト政権が徳島にあった明確な証拠

日本書紀に、崇神天皇が、天照大神・倭大國玉、二神を天皇の大殿の内にお祀りした、とある。延喜式内社で倭大國玉を冠する神社は、徳島県美馬市の倭大國玉神社の他にない。つまり、倭大國玉神社のある美馬市に崇神天皇が住まわれていた、ということである。

ということで、倭大國玉神社に行ってみた。

まだ12/30なので初詣ではない
倭大國玉神社
12/30に訪問 お正月モード

河岸段丘の上にある。

冒頭に書いた内容が書かれた説明看板。

神社の境内には大國玉古墳がある。

古墳時代後期(6世紀)なので、埋葬されているのは崇神天皇(3世紀後半から4世紀前半と考えられている)ではなさそう。

疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神を皇居の外に移した、とされているので、皇居はここではない。

では、皇居はどこか?

吉野川を挟んで対岸のつるぎ町半田に、「天皇」という地名がある。

「天皇」の下の「かいけ庵」にある看板↓

このすぐ近くには「神宮寺」という立派なお寺。「神宮」という名前がなんともそれらしい。妄想でしかないが。

このお寺の上の方に行くと、「富士権現」というところがあり、ここに古墳がある。

なんとなく、この辺りは崇神天皇と関係あるのかも、という想像がかき立てられる。

まあ、崇神天皇の皇居の場所は分からないが、倭大國玉神社の存在は、崇神天皇の皇居がこの近くにあったという証拠では?

さて、倭大國玉神社の近くに、伊邪那美神社がある。元は、吉野川の中洲にあったとされている。延喜式内社に伊邪那美神社はこの1社しかない。つまり、国生みのイザナギ・イザナミのイザナミの神社がここにしかないということは、神生みの場所は徳島、ということになる。

12/30にウメ?が咲いてた

川崎市麻生区と阿波忌部

Googleマップで、たまたま、川崎市の麻生地区に月読神社を見つけた。

月読命は、古事記では、伊邪那岐(イザナギ)が黄泉の国から逃げ帰って禊をした際に、右目から生まれ、その時に左目から生まれたのが天照大御神、鼻から生まれたのが須佐之男命。なぜか、古事記ではその後のエピソードがない。マイナーな存在。

珍しいなぁ、と思い、この麻生地区を調べていたら、阿波忌部が入植した地域とのこと。(タウンニュース

千葉県の安房(あわ)は阿波忌部が入植した地域で、安房神社は有名だ。それは知っていた。(南房総花海街道

2019年2月撮影
阿波忌部が房総半島の南端を開拓したことが書かれている
この日、さかなクンが餅投げをしていた
安房神社近くの忌部塚
弥生時代以前から来ていたとのこと

同じように、麻生地区にも入ったのか?

麻は天皇の代替わりの神事の大嘗祭で麁服(あらたえ)として献上されるように、徳島の三木家がその役を担っている。

徳島県美馬市木屋平の「貢」という地名にある三木家の麻栽培用の圃場
厳重に管理されている
実際に栽培された時の資料写真

麻生の地名は、麻の栽培に由来しているということか。

ちなみに、イザナギが黄泉の国から逃げてきたルートに因んだ地名が徳島にあることから、古事記は阿波の話という説(ここに書いた)がある。イザナギが禊をしたと考えられる場所もある。

で、その川崎市の麻生地区、鶴見川沿いに杉山神社が多数ある。

杉山神社を建立しながら、阿波忌部が入植していったと考えられている(前述のタウンニュースの記事)。

ということで、バイクに乗って、実際に行ってみた。

月読神社

まずは、月読神社。

説明看板のガラスに反射して自分が写ってしまった

小高い丘の上にあり、亀井城の跡地である。

伊勢神宮別宮の月読宮から勧請したとのこと。

神紋は三つ巴だった。

岡上神社

次に、岡上神社に行った。

いろいろ調べていたら、「剣神社」があったとのこと。剣神社、諏訪神社、日枝神社、宝殿稲荷社、開戸稲荷社を合わせて岡上神社として建立したとのこと(柿生文化 第79号)。

剣神社って、まさに徳島ではないか!諏訪神社も元社は徳島にある。

ここも三つ巴。

平尾杉山神社

杉山神社群の中で、最も上流部の平尾杉山神社へ行ってみた。

ここもやはり三つ巴。だからどうなのか分からない。でも、関連のある人達が建てたということか?

余談

途中、庭に麻らしき植物が生えているのを見かけた。

やばそうなので撮影しなかった。

古事記は阿波の話?

邪馬台国阿波説とか、前々から興味があり、YouTubeでもそれが取り上げられている動画を見ていた。先日、TOLAND VLOGが阿波古事記研究会の方と徳島の古事記と関係のある場所を巡ったYouTube動画を見た。せっかくなので現場を見に行ってきた。古事記は阿波で完結するんじゃないか?

上一宮大粟神社

神山町神領

いかにも神の領域という地名。

ここは最近行ったので、今回はパス。最近行った写真を挙げておく。

アマテラスとスサノオが誓約「うけい」を行った場所。

その後、スサノオが暴れたので、閉じ込めた?

閉じ込めた場所の地名が鬼籠野(オロノ)。鬼を籠に閉じ込める。

天岩戸立岩神社

神山町鬼籠野元山

かなりの山奥。神山から大川原高原に行く途中に入り口がある。

モザイクが要るんじゃないかというほどの女陰状の巨石。

これが天岩戸とのこと。

戸(ト)って、外陰部を意味する「ホト」のことらしい。岩のホトでイワトか。

ここを元山といい、神山の元山が倭の香具山で、ここから砕け散ったのが奈良の天香山、ということらしい。

天岩戸別神社

佐那河内村上

大川原高原の中腹。天岩戸立岩神社から最短距離で行こうとしたら、カプチーノでは無理そうな道を案内されてしまい、別のルートを選択。いずれにしてもカプチーノでは厳しかった。

天岩戸を開けた手力男が祀られている。

新緑が綺麗

立岩神社

徳島市多家良町立岩

タタラ 古代金属器の製作がされていた地域。タタラ→タカラ

タタラをしていると片目が潰れて、一つ目になるということで、天目一神として祀られたらしい。

天津麻羅(アマツマラ)が祭神。

鳥居は今年1月に建立
御神体は男性器の岩

三種の神器の八咫鏡は、天津麻羅が作ったと古事記に書かれているので、この地域で作られた可能性がある。

生夷神社(いくい)

勝浦町沼江田中

事代主=えびす を祀る神社

コトシロヌシはオオクニヌシの子で、国譲りの誓約をした。

近くを流れる勝浦川は鮎釣りが盛ん。コトシロヌシも鮎釣りで占っていたのかも。

コトシロヌシが、鮎占いで、神様のお告げを伝えていたのか。

この次、オオクニヌシを祀る八桙神社へ。

八桙神社(やほこ)

阿南市長生町

長国を支配していたオオクニヌシを祀る神社。

長国=出雲

オオクニヌシの子に、コトシロヌシとタケミナカタがいて、コトシロヌシは先ほどの生夷神社、タケミナカタは石井町の多祁御奈刀弥神社に祀られている。

古烏神社

阿南市宝田町

祭神はコトシロヌシの娘のシタテルヒメまたはトヨアシタケヒメ。

またここでもコトシロヌシにつながっている。

社殿の装飾が烏
近くにカラスがいた

カラスといえば、八咫烏が連想されるが、関係あるのか?

勝占神社

徳島市勝占町

オオクニヌシを祀ったとのこと。

鳥居のところからかなり登ってきて、さらに長い階段

弁天山(厳島神社)

徳島市方上町弁財天

イツクシマヒメ(イチキシマヒメ)=弁財天

アマテラスとスサノオのうけいにより生まれた神。

祭神はフクヤママサハル?

この辺りは海だったので、この弁天山は島だったし、向こう側に見える眉山は岬だった。

多祁御奈刀弥神社(タケミナトミ)

石井町浦庄字諏訪

長野県の諏訪大社は阿波から移遷されたと記録されている。

タケミナカタはオオクニヌシの子。

タケミナカタを祀る諏訪大社の元が阿波なら、オオクニヌシも、その祖先も阿波。

邪馬台国

魏志倭人伝に書かれている邪󠄂馬臺國を邪馬台国=ヤマタイコクとしているが、邪馬壹国の書き間違いで、ヤマトコクと読むのなら、ヤマタイコクは存在しない。日本の歴史書に存在しない理由はここにあるかも。

ヤマト=山門 山が迫って閉じている地形 岩戸のように、山と山に切れ目が入っている地形

吉野川から見る、こういう風景の西側(美馬のあたり)ということ?

古事記の登場人物、舞台が阿波にあるなら、ここがヤマトであり、やがて奈良の方へ遷都していった?

邪馬台国阿波説と三木家住宅

邪馬台国といえば、九州説と畿内説が有力だが、阿波説がある。YouTubeでANYAさんが解説しているとおり、魏志倭人伝を素直に解釈すれば、邪馬台国は阿波となる。「邪馬台」は「ヤマト」であって、その後、奈良盆地へ移って、大和政権となっていったと考えられる。この説は、他の説に比べて、すごくしっくりくる。邪馬台国への行程を、道のりではなく、距離を当てはめれば、阿波が妥当なのだ。当時、距離を測ることができたのなら、わざわざ面倒な道のりを測るより、距離を示すだろう。

神話の高天原にいた人達として、元はユダヤ人なのではないか、という説がある。美馬市穴吹町の磐境(いわさか)神明神社は、古代ユダヤの礼拝所に似ている。見に行ってきた。

またまたANYAさんが解説している。古代ユダヤの礼拝所で、大麻を燃やした跡が見つかったそうな。そして、大麻といえば、天皇の代替わりの儀式、大嘗祭で使われる麁服(あらたえ)は大麻の織物であり、これは代々、阿波忌部氏が調進することになっている。大正、昭和、平成、令和でも、阿波忌部の直系の三木家が麁服を調進した。その三木家住宅に行ってみた。

三木家
大麻を栽培する畑
標高500mほどの山の上にある
ここから東側にそびえる山は東宮山。ということは、こちら側に本宮がある?

古代ユダヤでは、大麻は聖なる布であり、キリストの聖骸布も大麻とのこと。同じように、天皇の先祖の地で織られた麁服を引き継ぐことで、天皇となる、ということか。

ということは、この辺りが、天皇の先祖の地、ということか?

この地で高天原が連想されるところといえば、剣山か。

御塔石が剣に見えるから剣山?

ユダヤには山岳信仰があるとのこと。ならば、剣山を聖地とし、この辺りの高地で焼畑をして生活していたのだと思われる。

その後、天孫降臨をして、気延山の麓の平野部に移り住んで行ったと考えられる。この辺りは多くの古墳があり、大昔は、大規模な都市だったようだ。

阿波史跡公園
宮谷古墳 最古級の前方後円墳

この気延山には山頂部に古墳があり、卑弥呼の墓と言われているものがある。

古代史を考えながら徳島を巡ると面白い。

乗客2名の夜行バス

海部観光の東京→徳島の夜行バスに乗ったら、乗客は2名だった。乗員は2名。計4名。軽自動車でも十分やんという人数。

それでもマイクアナウンスをするし、途中の降車バス停にも一応停車する(アナウンスはないが)。

長引くコロナ禍でバス会社の経営が心配。

大雨で東名、新東名が通行止めなので、中央道経由となった。カーブが多く、舗装も悪くて振動が多かった。熱海では土石流による災害が発生。こんな日でも、たった2名の乗客のために運行してくれたことに感謝!

GoToを解除するなら平日限定に

そもそも、GoToキャンペーンは、コロナで痛手を被ったホテルや観光事業者を支援するのが目的。

今までどおりのGoToなら、休日に集中するわけで、客室数に限りがあるのだから、客室数以上に需要があっても儲けにならない。

ならば、平日に限定すれば、平日にも予約が埋まり、休日はそれでも行きたい人の予約で埋まるので、その方が儲けになるのでは?

その方が人出も分散して密になりにくい。

また、有休取得の推進にもなる。

ペットボトルのキャップで機体変更

飛行機に乗り込んで、すでにみんな着席しているのに、なかなか出発しない。そしたら、

「出発時刻となりましたが、操縦席の地面にペットボトルのキャップが落ちていることが分かりました。それを取り除く作業を行なっております。しばらくお待ちください。」
というアナウンスが流れた。
そのしばらく後、機長からのアナウンスで、プラスチックのゴミの発見に至っていない、ということで、機体を変更することを決断した、とのこと。操縦系統に影響が出ることも考えられるので、念のため、ということらしい。

結局、1時間少し遅れて、別の飛行機に乗り換えた。お詫びに、500円の喫茶券(羽田空港内の売店で、当日限り使用可能)を貰ったので、土産を買った。

荷物の移し替え作業中

たかがペットボトルのキャップ1つで、と思うが、仕方ないか。

富士山は北側はうっすらと雪が付いてるが、南側はほとんどない。寒波襲来でめっちゃ寒いのに。

徳島の神代文字

徳島県の、神代文字のあるところに行ってみた。

【神山町の稲飯神社(いないじんじゃ)】

いきなり、ミステリアスな空間。

ハングル文字に似たタイプの神代文字。
ただし、かなり新しい。

三柱鳥居(みはしらとりい)もあるのだ。

スエキアワカミ
菊花紋!

トホカミエヒタメ
こっちはダビデの星!

【徳島市の船盡比賣神社(ふなはてひめじんしゃ)】

ここには、神代文字の幟があるとのことで、行ってみた。

船盡比賣神社の対岸には船盡神社(神山町)がある。まずは船盡神社へ。

そして船盡比賣神社へ。
なんと、三本の石柱があり、真ん中に石が置いてある。
三柱鳥居といえば京都太秦の木島神社(蚕の社)が有名だが(行ったことはないが)、それも真ん中に石が置いてあるようだ。
それと同じ考え方か?

【岩津の渡し(阿波町岩津)】

岩津橋のたもとの、岩津の渡しがあった場所に、神代文字で書かれた歌碑がある。江戸時代の1862年に建てられたようなので、そんなに古いものではない。でもなぜ神代文字で書いたのか?

岩津の渡しのあった場所に石碑がある

石碑を拡大
神代文字が!

歌碑らしいです。

階段のところの鳥居は、杉尾神社の鳥居と書いてあった。
上ってまっすぐ行くと、

この神社に出る。子の鳥居には「八幡宮」と書かれている。
「杉尾神社」ってどこ?
地図アプリでは「蛭子神社」と書かれている。そうなると、ヤハウェ(八幡)、イエス(蛭子)を連想する。

わりと立派な神社

「丸に違い矢」の紋。
服部氏族の紋らしい。服部といえば秦氏系。秦氏は八幡宮。