「一般女性と結婚」という芸能ニュースを見て思った。
じゃあ、一般でない女性って、なんだ?
一般女性の対義語は特殊女性?
「一般女性と結婚」という芸能ニュースを見て思った。
じゃあ、一般でない女性って、なんだ?
一般女性の対義語は特殊女性?
日本語にすれば、
良いキリストの典礼を!
ってこと。
キリスト教徒前提で言う言葉。
「シジミ1800個分のオルニチン」
最近よく目にするサプリメントの広告。
私はサプリメントは服用しない派。サプリメント飲むなら、薬を飲むべき。栄養の偏りがあるなら、食生活を見直すべき。
健康のために残留農薬を気にするよりは、サプリメントの過剰摂取を心配した方が良い。
まあ、オルニチンの過剰摂取の副作用は心配するほどでもなさそうだし、効能があるなら医薬品として認可すれば良いのだ。
それはさておき、シジミ1800個(オルニチン800mg)ってどれほどの量なんだろ。
「シジミ1800個分のオルニチンをギュッと濃縮」
なんて言ってるが、そんなにシジミ使ってるの?
シジミは100gで30個らしい。
ということは、1個あたり3.33g。
3.33g/個×1800個≒6kg
え⁈
1回の服用のために、6kgのシジミを使うのか?
いや、そんなことはなかった。
オルニチンは糖蜜を原料に発酵法で製造されるらしい。
正確を期すために、
「糖蜜◯◯gから製造されるオルニチン」
と言ってほしい(笑)
そもそも、オルニチンはシジミよりも本シメジの方が含有量が多い。
シジミだと0.1〜0.15mg/g。
本シメジは1.6mg/g。
オルニチン800mgは、800mg÷1.6mg/g=500g。
スーパーで売ってる本シメジ1株は100gのようなので、5株分。
このくらいなら無理すれば食べられるかな。
いや、そもそもオルニチンそんなに必要か?
国民の知る権利を守るために受信料が必要という最高裁の判断。
逆に言えば、国民の知る権利を守る放送にのみ受信料を払う義務があるということか。
ならば、受信料でバラエティーやドラマ、歌番組を制作する必要はないだろう。紅白も要らない。
24時間ニュースを流すとか、営利目的では不可能なドキュメンタリーを制作するとか、そういう在り方であるべきだろう。政府の影響を排除できる状況で。
もっとスリムになれば、受信料を下げられるはず。
デジタル放送なんだから、受信契約したところのみ視聴できるようにしたら良いんだ。
カプチーノでのワインディングロードのドライブ、山登り、写真、ちょっとしたプログラミング、ランニングが好きだ。
最近思うけど、これらを繋げてやってるなと。
登山口まではカプチーノでぐねぐねした山道のドライブを楽しみ、景色や花の写真を撮りながら山登りをし、写真付きのレポをYAMAPにアップし、花の写真はデータベースに入力して公開している。ランニングも軌跡データをYAMAPやRunKeeperにアップ。
そんなに凝り性ではないので、趣味の一つ一つは中途半端だけど、融合させてることが楽しい。
あれだけ騒いで、結局豊洲移転の方針を発表。
安全性の問題で止めてたはずなのに、安全性のことは忘れたのか、とぼけてるのか?
地下水を使うわけでもなく、触れることもないことはもともと分かっている話。安全性は全く問題ないことは、少し説明すれば自明なんだから、はじめから騒ぐ話ではなかった。
遅らせたことは、大きな無駄遣い。
政治の具として使われただけ。
NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」(2017年4月30日放送)を見た。
驚きだったのは、9条部分の草案は、マッカーサーの案では「自己の安全を保持するための手段としてさえも」が入っていて、つまり、自衛権さえ放棄する内容だったが、GHQの案ではこの部分は削除されていた、というところ。
その流れで、今の憲法は出来上がった。
自衛隊が合憲なのかは議論になるが、この流れであれば合憲と解釈してもおかしくはない。
今、「解釈してもおかしくはない」と書いたが、そもそも、憲法の解釈についての学説が複数あるというのは文章が悪いのではないか?(「これを」って要らんやろ、とか)
ところで、憲法と法律は根本的に異なる。
法律は国民を制限するルールであり、憲法は国家権力を制限し国家権力から国民を守るもの。
解釈が曖昧であれば、解釈が暴走し、権力から国民を守れなくなるおそれがある。
9条の部分でいえば、自衛権について明確に規定し、拡大解釈によって国家間の戦争にも繋がるおそれのある集団的自衛権は明確に否定した方が良いのではないだろうか?
憲法が古いというのであれば、解釈が分かれる部分をブラッシュアップすべきであろう。
改憲が簡単にできてしまえば、その時々の政権により都合よく変えられてしまい、権力から国民を守れなくなる。
国民投票でも、その時々の雰囲気でノリで投票した結果、後で後悔することもあるので、ハードルは高い方がいい。
2度の大戦による教訓としてできた平和主義の憲法。
国際協調の最先端の理念だと思う。
この理念は変えてはならない。
先に述べたとおり、基本理念をさらにブラッシュアップし、国民を守るための改正であれば、賛同されるのではないだろうか?
平和主義を放棄するための改正案には反対だ。
ハロウィンの意味がよくわからない。
ましてや、クリスマスも。
こういうことで良いか?
ハロウィン=新嘗祭
クリスマス=灌仏会
余計分からんか…
バレンタインデーは何だ?
殉教したお坊さん?誰かいたっけ?
政治的な発言はしないでおこうと思うが、システムの話をする。
島根県と鳥取県、徳島県と高知県を合区しようなんて話が出ている。
1票の格差是正のためだ。
数字だけ見ると、是正はされるよね、と思う一方、四国は各県が全く異なるので無理やり合区するのはいかがなものか、という気もする。
徳島は神戸・大阪、香川は岡山、愛媛は広島、高知は太平洋を向いているわけで、考え方も違うし、山に隔てられて同じ選挙区で活動するというのは無理がある。
でも、1票の格差が、ということになるのだが、そもそも各選挙区の意見は、国政に反映されるのだろうか?各議員平等な力として。
その前に、「党議拘束」というものが各党で行われている。
議員個人の意見ではなく、党の意見として投票しようという縛りだ。
これをやってしまっていると、1票の格差を正したところで、誤差になってしまわないか?
世論と国会議員の投票行動にかなりの隔たりがあるように思えるが、党議拘束が大きな要因になっている気がする。
そもそも、政党というのは、近い思想の者が集まって作るもの。
現実、そうなっているのか?
昔はイデオロギーの違いが明確で、それによって政党があったが、今はイデオロギーは争点でなく、同じ政党内でも、各論でいえば様々な意見があるはずだ。
各論で、党ごとに同じ投票行動になるなんてありえない。
世論との隔たりの大きな要因が党議拘束にあるのならば、まずは、党議拘束を禁止することから始めるべきでは?
同じ思想の人だけで政党を作りましょう、なんてことをすれば、無数の政党ができるだろう。
じゃあ、政党なし、個人でいいじゃん。というのが、現代の状況だと思う。
実際、「支持政党は?」、と聞かれたときに、多くの国民は、「ん~、特にないですね~」とか、「まあ、あえていえば自民党かなあ」だろう。
自民党の候補者に投票したとしても、自民党を全面支持しているわけでもなかろう。
自民党が暴走してるな、と思って、じゃあどの党に投票するのか?
民主党への投票に繋がるのか?繋がらないだろう。民主党を支持しているわけでもないし。
受け皿がないのだ。
政党に投票して政治を進めるというシステムは、今の時代には合わないと思う。
余談だが、「どの球団のファン?」と聞かれるのは嫌いだ。
どこかのチームのファンであることが前提で聞いている。
こっちは「興味ねぇーし」なのだ。
何かのファンとカテゴライズされるのは嫌いな、ひねくれた少年だった。
別に、熱くなるほど好きになれるチームはなかったし、はまって見境がなくなるのが怖かった。一歩引いて、はまらないようにしておかないと、自分を見失ってしまうのが怖かった。
今思えば、熱くなれる方が幸せだと思うが、政治においては、戦時中のドイツや日本のようにならないよう、はまらないように注意した方がよいと思う。