「日記・コラム・つぶやき」カテゴリーアーカイブ

違憲と言われている法律でも裁判所が廃止できない?

司法の専門家が「安保法案は違憲です」と言っているわけで、三権分立だから、たとえ安保法案が成立したとしても、裁判で廃止することはできるのではないか、と思ったが、日本の違憲審査権は付随的審査制となっているらしい。

つまり、何か具体的な訴訟事件がないと審査できない、ということらしい。
それに対し、具体的訴訟事件がなくても審査できるのが抽象的審査制。
とりあえずネットでは政治的発言をしないことにするが、憲法は国家の頂点にあるわけで、憲法に反してもよいということになれば国家として成り立たない。
それなのに司法権がいまいちな気がする。
違憲審査権を抽象的審査制に変えられないのか?変えたとしても、憲法違反にはならないはず。

NISAと配当金受取方法でめんどくせー

NISAで配当金を非課税にするには、配当金の受取方法を「株式数比例配分方式」にしなければならないそうで。Webで確認したら「従来方式」になっていたので、「株式数比例配分方式」に変更を申し込んだ。そしたら、変更できませんでした、という案内が郵送されてきた。

証券保管振替機構から「お客様が特別口座で株式を保有している」、「複数の口座管理機関に口座があり、その中の口座機関が株式数比例配分方式の取扱をしていない」のどちらか、または両方の理由により変更できない旨の通知がございました。

とさ。

えー?なんじゃそりゃ?

特別口座って何???
そんなのあったっけ?
証券保管振替機構?えっ?

よーく考えてみたら、昔の株券を電子化したことがあったような?
ほんでもって、単元未満株式が残っていたような。
それって、特別口座を関係あるのかな?

調べてみたら、なるほど。電子化すると、証券保管振替機構の特別口座に入って、それから証券会社の口座に振り替えるんだ。
前に、その銘柄の会社から、単元未満株式の買取請求(売却)の案内が届いていたなあ。株価が上がったらやろうと思っていたけど、忘れてた。
ということは、証券保管振替機構に単元未満株式がまだ残っているんだ。

なんとなく分かった。
特別口座専用口座振替申請書にその単位未満株式を記入して提出だ。

むずかしいなぁ~。

自転車は一時停止しないね

駅に徒歩で通う機会が多くなったが、自転車とすれ違うことが多い。
見てると、自転車は無法状態だね。
まず、「止まれ」の標識があっても、一時停止している自転車は皆無。
歩行者が歩道にいても、路地から突っ込んでくるし、止まらずに道路を横断していく。
意地でも止まらない、という感じだが、思うに、自転車の特性と関係あるんだろうな。
自転車は動いていると安定しているが、止まると倒れるので、足を着かなければならない。
足を着くのは面倒なので、止まりたくないのだろう。
あと、一旦止まると、また漕いで加速しなければならないので、エネルギーがもったいないのだろう。
でも、危ないので、どうか止まって下さい。
あと気になるのが、右側の路肩を走ること。車からしたら怖いし、危ないし、そもそも違反なので、絶対にやめてください。
なるべく、左側の路肩を走るか、自転車通行可の歩道ならば歩道を走って下さい。
でも、なるべくなら左側の歩道を走って下さい。右側の歩道でも違反にはならないけど。
あと、信号で待つ時、歩道や、横側の横断歩道を塞ぐように止まらないで下さい。歩行者が通れるように、手前で止まって下さい。
自転車は前後に場所を取っているし、横側の幅も取っているのです。点や線だとは思わずに、立体であるという意識を持って下さい。その意識があれば、路肩から歩道に突っ込んだり、右側の路肩を走ったり、歩道や横断歩道を塞ぐ行為は出来ないはずです。
加害者になるリスクが高すぎる!

奇跡のリンゴと目的

奇跡のリンゴが上映中。

リンゴはとてもデリケートなくだもので、年に何度も農薬や肥料をやり、気の遠くなるほどの手間をかけてやらないと絶対に実らないと言われています。この映画は壮絶な辛苦の果てに、無農薬栽培で甘くて美味しい“奇跡のリンゴ”を生み出したある家族の物語です。
一方、農薬は正しく使えば消費者に対して残留農薬等での悪影響はない。
奇跡のリンゴの主人公木村さんは、農薬散布で妻がかぶれを起こすということで、無農薬栽培に挑戦した。
たしかに農薬によってはかぶれを起こしやすいものがある。農薬を散布する生産者は、当然ながら農薬を浴びやすく、皮膚に接触すればかぶれやすい。だから、かぶれやすい農薬を散布するときには、不浸透性の手袋や防除衣、保護眼鏡を着用しなければならない。どうしてもかぶれるのならば、原因となっている農薬を別なものに変えたほうが良い。
だから残留農薬が危険ということではない。
つまり、木村さんの無農薬栽培の目的は、妻を農薬暴露による健康被害から守るため、ということになる。
であれば、無農薬栽培以外に方法はなかったのだろうか?
かぶれの原因となる農薬を変える方が手っ取り早い。
もし、化学物質過敏症でどの農薬でもかぶれる、あるいは農薬製剤に含まれる界面活性剤がかぶれの原因ということであれば、農薬散布作業は無理だろう。別な人を雇うか、一人でスピードスプレーヤーで散布するか。
死ぬほど追い詰められてまで、無農薬栽培にこだわる必要はあるのだろうか?
結局、酢を散布したり、わさびを塗ったりしているわけで、酢でもかぶれる可能性はあるけど、大丈夫だったのだろうか?
科学的に残留農薬に悪影響が無いとしても、価値観の違いから、無農薬のものを食べたいという人もいるだろう。その人達のために無農薬栽培のりんごを提供するのは、ビジネスとしてありだろう。科学とは関係がない。
私が何を言いたいのかというと、目的と解決策が合っていないということ。
妻の健康被害を守るためという目的が、いつの間にか、その解決策の一つにすぎない「無農薬栽培」そのものに変わってしまっている。手段が目的に変わってしまった。
結果的には、妻を健康被害から守れたし、ビジネスとしても成功したわけだが。

自転車こわい

自転車に轢かれそうになった。

交差点の直前を歩いていたら、おっさんの乗った自転車が右側から曲がって突っ込んできた。
もう少しでぶつかりそうになった。
おっさんは、謝りもせず、去っていった。
自転車って、大抵、交差点で止まらないな。
歩行者がいるにもかかわらず、前を横切っていくし。
先日は、前と後ろに子供を載せたお母さんが、信号無視をし、さらに後ろをよく確認するでもなく道路を横切っていった。子供の命も預っているのに。
商店街では、道いっぱいに自転車を駐めているのでまっすぐに歩けないし、その状況でさらに自転車が縫うように走っていくので、おそろしい。
自転車って、止まると倒れるので、止まりたくないんだろうな。止まって地面に足を付けるのが面倒という心理が働くのだろう。なので動き続ける。
自転車自身は交通弱者という意識があるが、歩行者から見れば、危険な存在。
歩行者とぶつかれば、怪我をするのは必然。
重量は軽いかもしれないが、運動エネルギーは速度の二乗に比例するのだ。
車側から見ても自転車はちょろちょろと危なっかしい動きをして危険な存在だし、歩行者側からみても危険な存在。
車道からも、歩道からも分離したい存在だ。
現実、自転車用の専用レーンを作る余裕は、ほとんどの道には無いので、ルールとマナーを守って運転してほしい。
さらに最近は、前からくる歩行者も危険。スマホを見ながら歩いているので、前を見ていない。
国民全体的に安全意識が低下しているのでは?

スポーツ新聞と自分

先日、昼飯に入った店で、サービスとしてか、スポーツ新聞を渡された。

普段全く読むことのないスポーツ紙だが、待ってる間暇なので、パラパラと見てみた。
読みたい記事が全くなく、自分のスポーツネタへの興味の無さに驚いてしまった。
スポーツネタに興味が無いことは以前から分かっていたが、世間の人たちが興味を持つであろう記事に対して、全く興味を示さない自分を、客観的に知らされた。
iPhoneのアプリで「ニュースクイズ」というものがあり、毎日やっているが、クイズのほぼ半分はスポーツネタ。当然ながら、正解率は低い。
世間のニュースの半分はスポーツネタなのだろうか?
自分はニュースの半分を知らないということか?
いまさらスポーツネタに興味を持とうとは思わないが、驚愕の事実という感じがする。

サンタ

なぜ、サンタクロースを子供に信じさせるのだろうか?

12月末のものを1月に発信するのは、330日ほどの季節外れなのだが、思いついてしまったので仕方ない。
自分自身も子供にサンタクロースを信じさせて、プレゼントしていたので、その反省(?)も込めて書いている。
サンタクロースを子供に信じさせる意味は何だろうか?
言い換えれば、サンタクロースを信じさせるメリットは何だろうか?
社会ほぼ全体でファンタジーを共有して、いったい何だというのか?
大人側のメリットとして考えられるのは、子供がプレゼントをもらって喜ぶ可愛い姿を見たいから?
子供が大きくなると、そのうち信じなくなるのだが、大人はできるだけ信じさせようとするのだ。
単なる大人のエゴではないのか?
子供に嘘をつく、正当な理由があれば教えてほしい。
大人って嘘つきだ、と気付く、社会勉強にはなるのだが。
私の父は、自分は仏教徒だ、と言って、クリスマス行事はなかった。
クリスマスプレゼントももらったことはない。
今考えると、父は正しかったと思う。